My Story
■20歳で400万の借金…ドン底生活のスタート
地元(静岡県)の専門学校を卒業し、旅行代理店に就職。
バブル崩壊後の就職氷河期にもかかわらず、憧れの旅行会社に入社することができました。
しかし、たった1年で退職してしまうのです。
というのも、とある仕事に出会ったわたしは夢中に。
結果、ハタチという若さで、スタートから半年で大きな売上目標を達成。
周囲からチヤホヤされて有頂天になったわたしは、このまま順調にいけるでしょうと高をくくり、旅行代理店を退職してしまったのです。
でも、退職したとたん、順調だった売上に陰りが見え始め、先輩に言われるがままに借金までして在庫を抱えました。
その額、なんと400万円。
同年代の年収より高い金額のローンです。しかも複数の消費者金融から借りました。
恥ずかしながら無知なわたしは、信用している先輩たちの
「俺も借りてるよ」
「私も借りてるよ」
という言葉に安心しきっていました。
でも、返しても返しても減らない借金。
そのうち、当時住んでいた実家に、裁判所から督促状が…。やっと、事の重大さに気がついたわたしは
……逃げました。
ここからはじまった、20代のドン底生活。
あまりにもひどい生活の、詳細をここに書くことは控えますが、知りたい方は聞いてください。直接お話ししますね。
この借金。結局、両親に頼り一括返済しました。
■突然やってきた上京のチャンス
こんなどうしようもないわたしの、心の奥底にずっと変わらずあったのが
「東京に行きたい」
という想い。
一番最初に、強いあこがれを抱いたのは『抱きしめたい!』というドラマ。
当時はトレンディドラマ全盛期。
中学生だったわたしは、「W浅野」こそが東京だ!と、本気で思っていました。
住んでいる家も、部屋のインテリアも、お2人のファッションも、とにかくオシャレでかっこいい。バリバリ働く麻子がかっこいいし、そのオフィスもいい。
東京タワーがたびたび映る街並みは、どこを切り取ってもオシャレ。
そんな、憧れの東京に行きたいけれど、上京するお金も、勇気もなかったわたしに、突然やってきたチャンスは、なんと、弟の結婚。
狭い家に弟夫婦が同居すると聞き「わたし、東京に行きます!」と宣言。
29歳のことでした。
■憧れの東京で、OL生活スタート
学生時代のアルバイトを含めて、上京前から現在まで、合計20の仕事をしています。
そんなわたしが、東京で最初に就職した会社は、恵比寿にあった人材会社。
9時~22時まで、毎日12時間労働。本来の勤務時間は18時までだったのですが、この業界特有なのか、残業が当たり前の風潮がありました。毎日4時間の残業の日々だったのです。さらに土曜日も出社の週休1日。
これらを計算すると、驚くべきことに毎月100時間の残業。
閑散期でも80時間の残業という激務の環境です。
いまでこそ、時間外労働の上限は原則月45時間になりましたが、当時はその法改正前のことでしたので、ハードに働いていました。
退職する社員が後を絶たず、毎月送別会。次から次に仕事が増えていきました。
身体は疲れていましたが、それでも仲間や上司に恵まれ、仕事そのものを楽しめていました。
■6年間で7000名の女性と面談
この人材会社に6年間在籍し、毎日10~50代の女性と面談しました。
そこで、女性は結婚、出産、育児などライフステージの変化があってキャリアデザインに悩む方が多い。
さらに、育児中、介護中の彼女たちの毎日は、自分の時間を確保することができないから、いつも疲れきっている。
そして、働きたくても働けないことが悩み、ということも知るのです。
何とかならないものか。と、まずは育児や介護をされている方が短時間で働ける職場を提供するための企画を提案するも、当時はフルタイムが当たり前の時代。その企画は通りませんでした。
そのうち、わたし自身にチョコレート嚢胞(子宮内膜症の一種)という病気が判明しました。ハードワークが当たり前だった状況に、急ブレーキをかけられたような気分になりました。今までできていたことができなくなったこと、評価が下がってしまうのではないかという焦り、欠勤することが増え同僚や部下に迷惑をかけている負い目。
そこで、思い切って退職して治療に専念することにしました。それが、2010年の年末のことでした。
退職してから2か月間、マッサージやヨガに通ったり、のんびりと過ごすうちに、チョコレート嚢胞がどんどん小さくなり、あっという間に完治しました。ストレスが身体に与える影響、そして、ストレスとの向き合い方を知るきっかけとなった最初の出来事でした。
その後、2013年から5年間働いた会社の人事部では、社員がメンタル不調におちいり、休職するという場面を何度もみました。
そうなる前に、なにかできることがなかっただろうか。
「ああ、またか」
と、部内にはどこか“慣れ”のような雰囲気がただよい、違和感を覚えたこともたしかです。
■セラピストを自分の仕事に
人材会社のほかにも、サービス業、メーカーなど様々な業界へ転職を繰り返すうちに、“いつか、自分で仕事をしたい”と考えはじめました。
そして、かっさセラピストになって自分のサロンを作ろうと決めたのが2012年のことでした。
直感的に“これだ!”とセラピストの道を選びましたが、今考えると、月100時間残業していた頃から、週末にマッサージへ通うことが日常で、そこで働くセラピストさんを見て憧れていたのかもしれません。
「かっさ」との出会いは、おそらく2008年頃だったと思います。人材会社にいた頃、先輩からのご紹介で「かっさ」を体験させていただく機会がありました。
はじめての「かっさ」は、背中に赤黒い痕がくっきり残りました。
施術よりも強く記憶に残っているのが、
・翌日の目覚めがとても良かったこと
・1日中身体が軽く感じられ、その状態が数日続いたこと
これは他のどのマッサージでも得られない感覚でした。
リンパマッサージや、ロミロミ、タイ古式、リフレクソロジー、揉みほぐしなど様々なマッサージを経験していたわたしにとって「かっさ」はとても印象に残ったのです。
■「40代キャリア女性が 毎日、機嫌よく働ける ココロと身体のデトックスサロン」
7,000名の女性と、転職という切り口でライフプランについてもじっくり話す中で、女性が仕事を続けることの大変さを痛感しました。
男性と同じ環境で活躍する女性も多く、やりがいをもって働いていらっしゃると思います。でも同時に、ストレスも増えていると思います。さらには、育児や家事、介護と両立する方も多くいらっしゃいます。そんな中、女性ホルモンの影響によって、年齢を重ねるごとに心身の不調を実感することにもなってしまいます。
それでも女性は、自分のことは二の次に考えがちで、疲れていても子供のため、家族のためと、がんばり続けてしまいます。
そんな女性の毎日がもっとご機嫌で過ごせるように、そして機嫌よく働けるように。
そんな思いで、わたしは今セラピストという仕事をしています。